農業一家の伝統として受け継がれる
町田の農業発展と食への貢献
大貫 満治さん(86)
大貫 行雄さん(58)
金森
旧南農協の理事や役員を長年務め、町田の農業の発展に貢献してきた大貫満治さん。平成3年に執り行われた新嘗祭(にいなめさい)では、大貫さんが育てた農作物を天皇陛下(現上皇陛下)に献上するなど、質の高い農業を実践しています。現在は、息子の行雄さんとともに二人三脚で農業を営み、アグリハウスみなみや地元の学校給食に新鮮な野菜を届けています。
(取材担当 南支店:板橋 大)
地元農業に貢献して36年
高評価を受ける農業人へ
町田市金森で農業を営む大貫満治さんは、昭和60年頃、先代の体調不良をきっかけに24年間勤めた自動車メーカーを退職して農家に転身しました。農業一筋、地元に食で貢献してきた大貫家の伝統を守るためだったと言います。就農後は、10年にわたって旧南農協(平成4年にJA町田市に合併)の理事や役員を務めました。
地元農業の発展に尽力する傍ら、自身も質の高い農業を実践。平成3年11月には、その年の収穫を感謝し、来年の豊作を願う宮中行事「新嘗祭(にいなめさい)」で使用される粟や穀物を天皇陛下に献上しました。また、平成30年に開催された第45回町田市農業祭農産物品評会では、育てたブロッコリーが優良賞を受賞。キャベツも努力賞を獲得するなど、高い評価を得ています
満治さんが辿った
町田農業の変遷
農業一家に生まれ育った満治さんは、幼い頃から畑仕事を手伝うことが日常でした。当時は太平洋戦争(昭和16〜20年)真っただ中です。辺り一面には畑が広がり、街道(現在の町田街道)を車よりも馬車が多く走っていました。大貫家では、米、サツマイモ、カボチャなどを栽培し、日本軍へ納めていました。戦後は日本中が深刻な食糧危機に陥り、自分たちで食べる分を作るのが精一杯でした。野菜の形などの質を気にするよりも量産することが重要だったと言います。
満治さんは「今の農業では、形・色・味など、全てにおいて良いものを作らないとお客さんは買ってくれないし、評価をしてくれません。そこが現代農業と昔の農業の大きな違いです。今の農業は難しくて大変」と語ります。
失敗から学べるから
農業は面白い
現在は息子の行雄さんと二人で約60アールの畑を管理し、30種類を超える野菜を栽培しています。
電機メーカーに勤めていた行雄さんは平成23年に退職。平成24年から就農し、本格的に農業に取り組みはじめました。最初の1年は、農業の大先輩である満治さんとともに農業を行いましたが、形が不揃いになるなど失敗が続きました。農業の知識を身につけるために、東京都とJA東京中央会が主催する「フレッシュ&Uターン農業後継者セミナー」で2年間学びました。
行雄さんは「なぜこんなに失敗するのか、どうしたらみんなが食べたいと思う野菜になるのか、悩みは尽きません。しかし、失敗から学ぶことが多いからこそ農業はやりがいがある」と笑顔をみせてくれました。
農業の裾野を
広げるための取り組み
二人が作った野菜は、アグリハウスみなみへ出荷しているほか、営農支援課を経由して、タマネギやジャガイモなどを町田市内の学校給食の食材として提供しています。また、大貫さんの農場では、農業に親しんでもらうため「ジャガイモ掘り」や「サツマイモ掘り」など、一般の人を対象としたイベントも積極的に開催しています。
現在、町田市農業委員会の委員を務め、市の農業発展に大きく貢献している行雄さんは「一般の方に農業について知ってもらうためにいろいろな企画を立てています。今後は畑の一部を貸し出すことも含め、地元地域の活性化を考慮し、有効活用できるようにしていきたい」と語ってくれました。